石牟礼道子の『苦海浄土』という小説をご存じの方は多いと思う。この作品のなかには様々な水俣病患者、家族が出てくるが、その中に、胎児性水俣病の少年と、彼を大切に育てているおじいさんが出てくる話がある。第四章『天の魚(てんのいお)』だ。

この天の魚は、かつて砂田明という俳優に独り芝居の形で演じられ、全国で上演されて大変な反響を得た。彼が亡くなった後しばらく上演は途絶えていたが、その遺志を受け継いだ俳優や支援者達が、2007年ごろからこの作品を復活させ、全国あちこちで上演し続けている。私は、その上演活動の輪に加わって、仲間とこの演劇を30年(くらい、たぶん)ぶりに大阪で上演しようと奮闘中だ。今年の春、数人で手分けして会場を探していたころ、11月17日(日)に、ドーンセンターにキャンセルが出たのを偶然見つけた。これは何かの縁に違いないと、すぐに会場に申し込みをして、今は資金集めやら何やらに追われている。

幼いころ、両親は私達を連れて、毎年故郷に帰省していた。親しくしている大叔母の家に行くと、そこには色が白くてか細いお兄ちゃんがいつもふとんの上にいて私達を迎えてくれた。お兄ちゃんはしゃべることができないらしい。だけど、周りの空気はやさしくて、とても居心地がよかった。 私が自分のことを「布団星人」と呼ぶようになったのはお兄ちゃんの影響だと思う。布団の星に住んでいる人は優しい人だ。その私の勝手な思い込みは、お兄ちゃんが周りに発していたあのやさしい空気からきているに違いないと私は今も思っている。 ここまで読んだらお気づきの方も多いと思う。そう、そのお兄ちゃんと、天の魚の主役である杢太郎少年、そして私は同じ病気だということ。

病名は、胎児性水俣病。

私の思い出にもあるように、かつての不知火海周辺には、たくさんの“杢太郎少年”がいて、彼らを大事に育てる家族がいた。しかし、水俣病とその周辺で起こったたくさんの苦難について、彼らが何かを語る事はほとんどない。この声を埋もれさせてはいけない。私が何とかしてそれを語らねば、お兄ちゃんと共に。そういう気持ちでいる。

さらに、水俣から遠く離れている関西の地には、水俣をはじめ、不知火海周辺の出身者がたくさん暮らしている。私の両親や私と同じように、多少の健康不安と付き合いながら。そして、今も何となく「不知火海周辺の生まれです」と堂々と言えない複雑な思いを抱えながら。 そういう人たちの声に皆で耳を傾け、共に考えたいと思う。豊かさとは何か、平和な社会とはどんな社会なのか。

おしたようこ「布団星人がゆく35」『風通信 2019年9月号』より転載。