紀伊国屋演劇賞特別賞(1981年、砂田明)受賞。

全国各地で累計600回以上巡演された舞台の約30年ぶりの大阪公演。

原作
石牟礼道子『苦海浄土 わが水俣病』(1969)
脚本
砂田明
出演
川島宏知
舞台監督・照明・音響
白木喜一郎
あねさんの声
砂田エミ子
日時
2019年11月17日(日)
  • 昼の部 13:30開場、14:00開演
  • 対談 15:45開場、16:00開始
  • 夜の部 17:30開場、18:00開演
上演は80分、対談は60分を予定しています。
午後の部、夕方の部いずれかのチケットをお持ちの方は対談をご覧いただけます。
場所
ドーンセンター(大阪府立男女共同参画・青少年センター)1F パフォーマンススペース
制作
「天の魚」出前プロジェクト
協力
最首塾 on the web
東京-水俣病を告発する会・季刊「水俣支援」編集部
主催
「天の魚」関西企画
事務局
問学研究会
チラシの画像

一人芝居「天の魚」

高度経済成長に沸き立つ1964年(昭和39)年初秋の水俣。

東京五輪の喧騒もどこ吹く風か、ひっそりと暮らしている江津之家に、あねさん(石牟礼道子)が訪ねる。途絶えて久しい来客を前に、爺さまは焼酎をあおり、わが半生とその胸中とを語りだす。

その姿を、生まれながらにして重い障害をもった孫の杢太郎が、傍らに横たわって、じっと見つめている。


一人芝居「天の魚」は、石牟礼道子氏「苦海浄土 わが水俣病」(1969)を原作に、1993年に亡くなった京都生まれの新劇俳優・砂田明氏が構成した舞台で、1979年の初演以来1992年に病に倒れるまで556回を数えました。砂田氏はこの作品で1981年に紀伊国屋演劇賞特別賞を受賞しています。

砂田氏の死によって一度は途絶えた「天の魚」。2006年の水俣・和光大学展で、砂田氏に演劇を学んだ俳優の川島宏知氏が受け継ぎました。舞台、TV、映画でキャリアを築いてきた川島氏の初舞台は「劇・苦海浄土」(1971)、「天の魚」では舞台監督を務め、砂田氏の演劇を支えつつ間近で観続けました。

再演にあたっては、告発色の強い砂田氏の台本に少し手を入れ、原作にある母と子の物語を生かし、ひとつの家族の暮らしぶりを描きました。そうしたひとりひとりのささやかな暮らしぶりを観ていくからこそ見えてくる水俣問題があります。

しかし、関西での再演は2011年に京都の東本願寺で一回あったきりで、大阪での上演は約30年ありません。

12年前、川島氏は「現時点の僕では水俣公演は考えられません。第一、水俣でやるということは怖いこと。だからこそ、水俣で演れるようになりたいけれどね。でも中途半端にはやれない」と語っていましたが、昨年2月に水俣での上演を成功させています。

「昨年の水俣・和光大学展での公演には多くのお客さんが、社会的問題に関心のある人たちが来てくれたけれど、僕は何よりも演劇的に成立させたいと思っている。新聞の文化欄に出るような。水俣の芝居っていうと暗いって思われるでしょう?だからまず、水俣病に意識のない人に観てもらいたい」と語っていた川島氏の場数を踏んだあとの公演を、エンターテイメントにあふれるこの大阪で観てみたい、観てもらいたいと思うのです。

劇作家 小栗まろんさんのブログ記事から

わたしが小学校のとき、
父が芝居を観に連れていってくれた。
芝居の内容は、水俣病を描いた一人芝居で、
まだ10歳かそこらのわたしはたいへんな衝撃をうけた。

芝居をみて劇場を出たとき、
自分がまるっきり別の人間になってしまったかのように感じた。
ほんの数時間前まで、わたしは水俣病を知らず、
こんな理不尽なことがこの世にあるなんてことを知らなかった。

こんなにまで人を大きく変える「芝居」とはいったいなんなのだ?と思った。
それからわたしの将来の夢は「女優さん」となった。

振り返ってみれば、わたしの人生は、
あの体験からまっすぐ現在に伸びているような気もする。

インターネットという便利なもののおかげで、
その水俣病の一人芝居について検索していろいろわかった。

タイトルは「天の魚(いを)」。
石牟礼道子さんの「苦海浄土」をモチーフに俳優の故・砂田明さんが自ら脚本を執筆。
79年から92年まで全国を行脚して演じられた。
翌93年に砂田さんは病で他界されたそうだ。

砂田さんが、石牟礼さんの本に触発され、私は、その芝居に大きな影響をうけた。

若干こじつけなのかもしれないけど、
石牟礼道子さんの本が、私の人生の方向性を決めた、ともいえるのかもしれない。
石牟礼道子さんを読みたい理由~ 私の人生を左右した体験のことなど : 流星工房

対談

1956年5月1日、水俣病公式確認。

石牟礼道子氏の代表作である『苦海浄土 わが水俣病』の刊行から数えて、今年は半世紀になります。

これだけの年月を経てもなお、終わらない水俣病。

そもそも、終わるとはどういうことなのでしょうか。

病を抱えて生きるということ。それは誰にとっても無縁ではありえない課題です。

1977年の不知火海学術総合調査団への参加以来水俣への支援を続ける最首悟和光大学名誉教授と、本会の代表であり関西在住の水俣病被害者であるおしたようこ氏が、一人芝居「天の魚」の世界と、水俣病の深さや広がりについて、語り合います。

被害者支援の運動に飛び込むのは難しいですが、まずは「知る」そこから「考える」ことは、時を経るごとに昔を知る人間が少なくなっていくからこそ、いよいよ大事になってきます。

水俣病の患者さんの高齢化が叫ばれて久しいですが、それはつまり、かつての患者支援を担ってきた人たちの高齢化も進んでいるということでもあります。今という時期だからこそできること、今を逃すともう難しくなることがあります。

「終わらない水俣」を、今の自分たちの暮らしと照らしながら、一緒に考えませんか?

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